2013年2月16日土曜日

ひけない境界線

先週、2月5日 2頭の豚が同じ日に出産しました。

妊娠から出産までのサイクルが約4ヶ月、発情は季節に関係ないので、年2回の出産が可能です。
暖かい時期が繁殖期のように思われがちですが、冬の出産も、暖かい時期と変わらないくらいあります。

今回、ランドレース種は15頭、ヨーク種は8頭の赤ちゃんを産みました。














公園の豚たちは、平均すると一度に10頭前後の赤ちゃんを産みます。
品種によって、生まれてくる仔の大きさに差がありますが、多く生まれると平均体重は、少なくなります。

15頭産んだランドレースの場合、前回6月には、1.5kgから2.1kgまで、5頭の仔を産み、平均体重は、1.8kgでした。
今回、5頭が、生まれてすぐに死んでしまい、体重を量れた仔は、10頭。
彼らの平均は1.3kg、大きいほうは1.8kgありましたが、一番小さい仔は0.6kg。
1.0kg、1.2kgの仔も、それぞれ1頭ずついます。
死んでしまった5頭は、あまり大きくなかったので、15頭全部の体重を量れていれば、平均体重はさらに下がったように思います。

大ヨーク種は、ランドレースより小さく生まれます。
前回6月に、この大ヨークは、13頭を生み平均体重が0.99kg、1kgを切っていました。
小さい仔は、0.5kg,0.60kg.75kgと続き、半数の6頭が1kg割れ。
今回は8頭で平均体重は1.3kg、1kg割れは1頭だけでした。
ただ、1kg割れの仔は、0.6kgで他の仔の半分以下の体重、極端に小さい。

新生子豚は、家畜のなかで最も生理的に未熟な状態で生まれるそうで、たとえば牛の赤ちゃんと比べると、もともと生きる力が強くありません。
そのなかでまた、平均以上に小さい仔は、さらに体力が無く、生まれてすぐに衰弱死したり、お母さんが、授乳のために横になったときに、逃げ切れず圧死したりします。

たくさん生まれると、残念なことに、育たない仔豚が多くなります。
そういう事情はあるにしても、今回は、今までに無くたくさんの仔が死んでしまいつらいお産になりました。

そして、産後2日目、生き残ったと思った仔豚のうち、ランドレースの一番小さい0.6kgの仔が、衰弱してお母さんのお乳を吸いに行かなくなっているのに飼育員が気づきました。
獣医さんに来てもらいましたが、特効薬はありません。
哺乳瓶で、牛用のミルクをやってみると何とか飲みます。
今日を乗り切れば、助かるかもしれないと、飼育員の一人が、今日一晩、うちへつれて帰って面倒見ることになりました。
毛布にくるみ、事務所のストーブの前、暖かいところで哺乳瓶でミルクをやっていると、青ざめていた鼻先に血行が戻ってピンクになったような感じがします。
つれて帰って一晩過ごさせるために空いた段ボール箱を引っ張り出し、シュレッダーにかけた紙くずを底にひいて。
豚の家飼いなんて誰もしたことが無いので、子猫をつれ帰るような簡単な準備だけを整えました。














その夜家に帰って、飼育員の一人が弱った赤ちゃん豚を連れて帰って看病してると話したら、家に連れてきて欲しかったと言われました。
これだから、素人は。
容態を見ながら、少しでもお乳をやって、ウンコの世話も必要で、一晩、寝る時間は無いよとしたり顔で教えたら、うちの子にお乳をやって育て上げたのは誰、としっかり反撃されました。
つまり、言いたかったのは、やることは小さい赤ちゃんの看病と変わらないくらいに大変と言うことです。
それをお母さんに言うのは確かに、釈迦に説法。

連れ帰った仔豚は一晩、暖かくして、お乳を飲まそうとしましたが、もうそれ以上元気にはならず、朝を待たず死んでしまったと連絡がありました。

残念ではありましたが、もしまた、衰弱した仔豚がいたとして、同じように連れて帰れるかと言えば、それは難しい。
徹夜の看病は、善意でするには負担が大きすぎます。
またたとえ、回復したとしてもほかの仔と一緒に飼うことはたぶん無理です。
尻尾を齧られた仔豚を隔離したときに、一日の仕事量が増えると言う話をしました。
群れから離れた豚をまた兄弟のところへ戻すのは難しい。
さらに、お母さんの初乳を飲めない豚は、抗体が持てないという、生きていくうえで、大きすぎるハンデを背負います。
だから、仔豚が回復したら、職員が、その1頭にかかりきりになって面倒を見ることになります。
しかし、たくさんの動物を育て行く仕事です、1頭だけに、特別の時間を割くことはできません。

冷たいようですが、本来あるがまま助からないものはあきらめる。
お乳がのめない仔豚は、母親から離れ衰弱して死んでいくし、怪我や病気で回復が難しい豚は、それ以上治療することなく早めに出荷をします。

非情ですが、はっきりと線を引かなければ、仕事は進みません。
それが、正しいとは思いませんが、そうするよりしょうがない。
それがわれわれの日常。

でも、そこを、いつもきっちり同じ線が引けるかというと、それは辛い。

糞を掃除して、餌をやる、そういう仕事です。
でも、ただ、餌箱に放り込むわけでも、たんたんと糞を集めては、トラックに積み込んでるわけでもありません。
この仔はちゃんと食べているか、こっちの仔のウンチの様子はどうだろう。
いつだって、世話をしている動物たちの様子を気にかけながら作業をしています。
そんな時、飼育員はみんな自然と声をかけながら仕事をします。

動物を飼うことは、やっぱり動物が好きでなければ出来ません。
淡々と、何の感情もなしに世話をすることは無理なのです。

だから、飼っている動物たちの、生死に、ここまでといつも同じ境界線を引くことも出来ません。
引いたつもりの線を切なくてかわいそうで、消したり、飛び越してしまったり。
そんなふうに揺れる気持ち、愛する気持ち無しには出来ない仕事だと思うのです。

でも、境界線を引かなければ続かない仕事でもあります。
私たちには、幕を引く責任もあるのです。